メモ帳みたいなアレ

-思いついたことを忘れないうちにメモする-

責任を軽視すると痛い目を見る

行動には責任が付いてくるっていうのは当たり前のこと。例えば人を殺したら、他人の物を壊したら、捕まったり賠償したりして責任を取らされる。

これは犯罪に限らず、どれだけ小さいことだったとしても、故意過失問わず、自分の行動すべてに責任はついてくるんだよね。

 

勘違いしてほしくないんだけど、「人を殺したから自殺する」っていうのは責任でもなんでもなくただの自己満足。「人を殺したからただ償う」っていうのが責任。理不尽な要求じゃない限り、許されるまでひたすら償うんだ。そして、この償いからは逃げられない。

 

「行動には責任が付いてくる」っていうのは当たり前なんだけど、最近はこの意識が無い人が多い。そして、これの根底には「責任を取らせない」っていう風潮があると思う。ルールが甘すぎるんだ。極端な話、旧石器時代はなんでも自己責任だった。それが今ではどうか。

ただ人を1人殺したくらいじゃ、基本的に自分も殺されるなんてことは無い。刑務所を出た後は、あぶれ者の社会で生きていく。報復される心配はあんまりない。

ネットで悪口を吐いて回る人があれだけ目立つくらいいるのは、責任を取らせる仕組みが不十分だから。僕より賢いはずの政治家は、有名人が死んでやっと気づいて、侮辱罪の刑罰を重くした。でも、ただの悪口で殺してもたかが侮辱罪。

 

法律のせいで、「なーんだ、責任ってこの程度か」っていう誤解が生まれた。"償う覚悟"が無くても人を殺せるって勘違いする。責任感が弱まった原因は、責任を取らせる仕組みであるルールそのものだ。

(あ、法律が不十分ってわけじゃないよ(十分とも思ってないけど)。ルールってあんまり曖昧なこと書けないから、いろんなことを広くカバーするために甘めになるのは仕方ないんだ。だからといって法律無しにするわけにもいかない。)

 

この流れが、責任っていう言葉を曖昧にして、責任感を弱めたんじゃないかな。全体的に責任が弱く感じて、結果小さい行動なら責任なんてもはや無いんじゃないかって誤解する。

そういう人が自分の誤解に気付くのは、取り返しのつかないことをやった後。責任が弱く見えるのはあくまで誤解で、実際はあらゆることに責任がついてきていたけど、無意識のうちに見ないようにしていた。

 

大きい事小さい事、故意過失も問わず、あらゆる行動に責任っていうのはついてくる。自分の行動の結果何が起きても ――たとえ物が壊れても、人が死んでも―― 、それは自分の責任だ。これは忘れてはならないし、何かあったときには嫌でも忘れられなくなる。