メモ帳みたいなアレ

-思いついたことを忘れないうちにメモする-

批判に対案はいらない

よく「批判するなら対案を出せ」って言ってるのを見るけど、これ普通に考えておかしいよね。

 

例えば、素人が専門家に批判する場面。

素人の批判こそフィードバックなんだから、受け止めようよ。ただの素人が対案出せるなら、専門家要らないよね。わざわざお金もらって素人の代わりに知識とか技術を使うのが専門家なんだから、素人に対案を要求するならお金なんか貰わない方がいい。

相手は素人なんだから、的外れな批判をしてくることもあると思う。批判に応えるのが無理だと思ったら、逆切れなんかせずに「これは無理なんです」って説明すればいいだけの話。その説明が理解されるかはわからないけど、それは対案の話とは別問題。

 

じゃあ、専門家が専門家に批判するときはどうか。

批判されるっていうことは、自分の案に穴があるっていうことだよね。相手は専門家だから、的外れなこと言ってきてるわけでもないだろう。その事実を突き付けられた上で、改善するでもなく対案対案言うのって、さすがに無理があるよね。「私の案には穴がありました。でもそれを補う発想がないのであなたが考えてください。」って言った方が手っ取り早いと思う。

もちろん、模範解答があるわけでもないし、こっちだってそれがベストだと思って案を出してるわけだから、批判されると腹立つ気持ちはわかる。でも、話し合いって本来そういうものでしょう?自分一人で考えてそれを提出して終わりでいいなら、会議とか議論とか要らないじゃん。

 

批判されると恥ずかしいとか、ちょっとでも失敗すると取り返しがつかないとか、そんな風に考えてる人いると思う。でも、人間失敗するのが当たり前。草案なんて穴だらけ前提なんだし、批判を怖がって突っぱねて逃げるより、批判を受け止めてみんなで案を良くしていこう。