メモ帳みたいなアレ

-思いついたことを忘れないうちにメモする-

過失・ミスを罰する意味ってなんだろう

なんかミスって事故・インシデントを起こしたら罰せられるけど、あれ何でだろうね?

 

いろいろ当てはまる話だけど、その中でも身近な、交通事故に限って説明してみよう。

毎日とんでもない数の交通事故が起きてるらしい。年に数十万件だっけ?それの処理に大勢が動いて、その給料としてとんでもない金額が動く。

でも、車両は人が操縦してるんだから、ミスが0になることはない。「これから一生、運転中に1つもミスしない。命賭けてもいい」って人いないでしょ。

 

・・・その労力やらお金やらを、「ミスっても事故が起きないようにする」ことに費やせよ~って思うんだよね。

 

もちろん、その人がミスしなけりゃ何も起きなかった。でも、そいつを罰してもまたほかの人がミスするじゃん。そういうことを、100年くらい続けてる。

この2022年という時代に、アクセルとブレーキの踏み間違いみたいな原始的なミスがまだ対策されてないの、さすがに遅すぎると思わない?いままでそれで何人も死んで、これからも大勢犠牲になるのわかってるんだよ?なのに、全然その技術が進まない。

ミスした人を処罰しただけでどうして仕事した気になってるのか。

 

「そんなの事故起こした人の不注意でしょ」って思った人いるよね。さっきも言ったけど、人間はミスをするんだよ。「弘法も筆の誤り」っていうことわざがあるけど、これはプロでもミスをするっていうことだ。どれだけ頭がいい天才でも、一生計算ミスしないかって言ったらそうではない。プロだってやらかすこともある。

「ミスったら諦める」よりも、「ミスっても安心」の方が安全だと思わない?犠牲になる人減るよ?

 

いつ誰がミスするかなんてわからないのに、1回ミスした人を徹底的に叩いて追放しようとする。それで満足しちゃって検証しないから、「本当にただのミス」なのか「重大な欠陥がある」のかわからない。(大勢が同じミスをするならそれは欠陥だろうよ。)

 

まあ、車壊してくれた方がメーカーは儲かるし、罰金払ってくれた方が国は儲かるんだけどね。

 

*ミスしても事故にならない技術の開発は警察の仕事じゃないから、どうか彼らを責めないでね。彼らは法律っていうマニュアルのとおりに仕事した結果だから。

最近あちこちで流行ってる、人を集団で批判する娯楽

「スカッとシリーズ」とか、「迷惑な客あるある」とか、YouTubeを見てると流行ってるみたい。皆もよく流れてくるのを見るよね。

 

「スカッと」は、悪者を撃退するっていうよくある物語だから、まあそのエンタメ性もわかる。昔から、悪さをする鬼が退治される話は人気だからね。

 

じゃあ、「ただ迷惑な行為を寸劇でやってみせるだけの動画」は、なんで人気なの?いいねが何万もついてる。桃太郎で言えば、「鬼が人間を苦しめています。終わり。」みたいなもの。それの何が面白いのか。

あくまで私の予想だけれど、コメント欄で視聴者の皆がそろって迷惑な人を批判する、その空気が面白いから人気が出てるんじゃないかな。要は、いじめが楽しいのと同じ理由。

 

 

まずいじめについて解説。

前提として、世界中で老若男女皆がやってるんだから、多分いじめは楽しいんだろうね。言語も文化も何もかも違う異国でもいじめは起きているらしいから、おそらく人間は本能で「いじめは楽しい」って思うようになってるんだろう。(じゃあどうしてそうなってるかは、自分で調べてね。多分社会性とか集団生活とかの代償だと思うけど、私は知らない。)

 

「楽しいから誰かをいじめたい」と考える人は一定数いる。でも、理由もなく誰かをいじめるのは世間体を気にしちゃう。そこで、適当に理由を探すんだ。体型とか知能とか、何かやらかしたこととか。君も多分、関わっていないとしても、1つくらい思い当たる記憶があるよね。

 

 

元の話に戻るけど、「人に迷惑をかけた」っていう理由づけがあらかじめできてたら、世間体なんて気にすることもなくいじめることができるよね。それでコメント欄がいじめみたいなことになる。そうすると、再生数が伸びる。人気になる。

ここに目をつけた動画投稿者、賢い!

 

しかも、そういう動画は特定の人を狙っていじめてるわけじゃない(つまり被害者がいない)から、悪いこととは言えない。誰も傷つけずにいじめをできる画期的な発明。

 

個人的にはああいう雰囲気すごい苦手なんだけどね。

あれに参加してる人は、ダメとは言わないけど、いじめの快感の中毒にならないように気をつけてね。どんなことにも言えるけど、楽しいって中毒性があるんだわ。

何かに意見するのも簡単じゃないね

僕はよく深夜アニメとか見る人だから、「そういうのに出てくる女性搾取的な表現を規制しろ」っていう意見をよく見るし、それに対する反論も見るんだよね。ああいうの定期的に話題になるんだ。反論というと、「好き嫌いは勝手にすればいいが、それを人に押し付けるな」みたいなのが多いかな。

 

そこで反論してた同じ人が、炎上したユーチューバーについて「こんなのを好きな人の気が知れない」みたいなことを書いてるのを見て、微妙な気持ちになった。同じことしてるじゃん君。

 

僕も気づかないだけでこういうことしてるのかもしれん。普段から発言には気をつけたいね。

なんも考えずにあちこちでコメント残してる人、気づかないだけでやってるかもね。

ゆたぼんよく叩かれてるけど

ゆたぼんっていう子がいてよく叩かれてるけど、叩いてる人たちにはなんとなく「不登校は悪いもの」っていう共通認識があるように感じる。自称元不登校の人の意見を読んでもそんな感じ。

 

だいたい皆「いじめられてるわけでも体罰されてるわけでもないのに、くだらない理由で自分から不登校を選ぶなんておかしい」みたいな感じだったかな。じゃあいじめっ子を出席停止にすれば翌日から不登校を無理やり登校させていいのかって言ったら、そうじゃないよね。そうじゃないってことは、そんな単純な話じゃないってことだ。

 

会社は合う合わないも行く行かないも自由なのに、学校は散々痛めつけられて精神病んだらやっと「不登校になってもいいよ」っておかしいよね。もちろん責任とか判断力とか考えると、会社と学校を比べるのはあまり良くないけど。

 

結局人を安易に叩く人は、後先考えないバカばかりなのかもしれない。

車の暴走、本当にメーカーに責任はない?

高齢者による自動車でのアクセルとブレーキの踏み間違い事故がよく問題になるけど、本当に運転手だけが悪いって言い切れる?

 

どれだけ運転が上手いドライバーも、これを読んでいるあなたも、まだまだ若い僕も、絶対に踏み間違いをしないなんていう保証はない。多分しないとは思うけど、「絶対しない」とは言い切れない。そんなこと皆わかってる。わかってるのに、メーカーはちゃんと対策をしない。運転支援システムの導入も遅い。

行政が高齢者から運転免許を取り上げようとしてるけど、根本的な解決にはつながらない。なぜなら、若い人だって踏み間違えるから。

 

飛行機でも船でも電車でも自転車でもバイクでも、アクセルとブレーキを間違えたなんていう事故は聞いたことが無い。なのに、自動車だけは当たり前のように「よくあること」になっている。ということは、自動車だけに何らかの決定的な原因があると考えるのが普通。

 

悲惨な事故が無くなるといいね。

 

江ノ電自転車ニキはなぜ叩かれなかった?

江ノ電目当ての撮り鉄がいっぱいいる場所をすごいタイミング悪く通過しちゃって、その上何を勘違いしたのかポーズを決めた外国人がいたね。江ノ電自転車ニキとか呼ばれてるらしい。それでその人に撮り鉄たちが罵声を浴びせたとか。

「相変わらず撮り鉄は~」みたいな話で終わった気がするけど、何か引っかかる。

 

撮り鉄目線で考えると、邪魔されたあげくポーズまで決められたんだから、挑発行為だと考えるのは当たり前。顔に「偶然通った近所の人です」とか書いてあるわけじゃないからね。

それを前提として、じゃあ罵声を浴びせるのは良いのか悪いのか。「やり返しちゃダメ」なんて綺麗事を言うのは誰だってできるし、確かにやり返さないのはなんかカッコイイ。じゃあ、法に触れたり賠償が発生したりしない範囲の嫌がらせは、黙って受け入れるしかできないの?学校や職場で陰湿ないじめをされてる人日本中にいると思うけど、そういう人は諦めろと?違うよね。

そもそも、普段から悪意を持って撮り鉄を妨害した人にこそ責任はあると思うよ。撮り鉄たちがすぐにニキを妨害だと判断したのは、そういう思考回路を彼らが植え付けたからだ。

 

それで、ニキの方だけど、仮にも他人に迷惑をかけておいて、あろうことかそのグッズまで作っちゃうのはどうなのか。詳細を知ったうえでやってるんだから、よくわからないけどなんか盛り上がってるからってことでも、ただ開き直ったわけでもない、明らかに更なる挑発だよね。なのになぜほとんど叩かれていないのか?

考えてみたんだけど、「外国人は礼儀を知らない。だから仕方ない。」っていうバイアスがかかってるんだと思う。テレビが広めたのか知らないけど、日本人はモラル意識が高いっていう考え方がぼんやりとある気がするから、それが元になってるんだろうね。あとキャラが濃いからその辺なあなあにされてる。

罵声を浴びせられたからチャラだって思う人もいるかもしれないけど、それでもさらに挑発するなんてこと、僕だったら絶対しないな。

責任を軽視すると痛い目を見る

行動には責任が付いてくるっていうのは当たり前のこと。例えば人を殺したら、他人の物を壊したら、捕まったり賠償したりして責任を取らされる。

これは犯罪に限らず、どれだけ小さいことだったとしても、故意過失問わず、自分の行動すべてに責任はついてくるんだよね。

 

勘違いしてほしくないんだけど、「人を殺したから自殺する」っていうのは責任でもなんでもなくただの自己満足。「人を殺したからただ償う」っていうのが責任。理不尽な要求じゃない限り、許されるまでひたすら償うんだ。そして、この償いからは逃げられない。

 

「行動には責任が付いてくる」っていうのは当たり前なんだけど、最近はこの意識が無い人が多い。そして、これの根底には「責任を取らせない」っていう風潮があると思う。ルールが甘すぎるんだ。極端な話、旧石器時代はなんでも自己責任だった。それが今ではどうか。

ただ人を1人殺したくらいじゃ、基本的に自分も殺されるなんてことは無い。刑務所を出た後は、あぶれ者の社会で生きていく。報復される心配はあんまりない。

ネットで悪口を吐いて回る人があれだけ目立つくらいいるのは、責任を取らせる仕組みが不十分だから。僕より賢いはずの政治家は、有名人が死んでやっと気づいて、侮辱罪の刑罰を重くした。でも、ただの悪口で殺してもたかが侮辱罪。

 

法律のせいで、「なーんだ、責任ってこの程度か」っていう誤解が生まれた。"償う覚悟"が無くても人を殺せるって勘違いする。責任感が弱まった原因は、責任を取らせる仕組みであるルールそのものだ。

(あ、法律が不十分ってわけじゃないよ(十分とも思ってないけど)。ルールってあんまり曖昧なこと書けないから、いろんなことを広くカバーするために甘めになるのは仕方ないんだ。だからといって法律無しにするわけにもいかない。)

 

この流れが、責任っていう言葉を曖昧にして、責任感を弱めたんじゃないかな。全体的に責任が弱く感じて、結果小さい行動なら責任なんてもはや無いんじゃないかって誤解する。

そういう人が自分の誤解に気付くのは、取り返しのつかないことをやった後。責任が弱く見えるのはあくまで誤解で、実際はあらゆることに責任がついてきていたけど、無意識のうちに見ないようにしていた。

 

大きい事小さい事、故意過失も問わず、あらゆる行動に責任っていうのはついてくる。自分の行動の結果何が起きても ――たとえ物が壊れても、人が死んでも―― 、それは自分の責任だ。これは忘れてはならないし、何かあったときには嫌でも忘れられなくなる。